参加者の一人Y氏の書き込み
       かぎろいの丘にて

「かぎろいの丘」で見た人麻呂歌碑について

―安騎野歌―

    1、 万葉仮名の読み下し

    やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと
    太敷かす 京(みやこ)を置きて こもりくの 泊瀬のやまは 真木立
    つ 荒き山道(やまじ)を 岩が根 禁樹(さへき)押しなべ 坂鳥の
    朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に 
    旗すすき 小竹(しの)を押しなべ 草枕 旅宿りせす 古(いにしへ)
    思ひて

    2、 大意

   わが大君の皇子である軽皇子は、神にふさわしくふるまわれるとて、
   統治なさる都をあとにして、泊瀬の山は真木の茂り立つ荒々しい山道を、
   岩さえぎる木々を押し伏せ、坂鳥のように朝お越えになって、夕方のなると、
   み雪降る安騎の大野に、旗のように靡くすすきや小竹を押し伏せて。
   旅寝をなさる 古を偲んで

   3,短歌

    この長歌の後、四つの短歌があり、その中の一つが有名な「東の野に
    かぎろひの立つ見えて」であるが、第一首目の「安騎の野に宿る旅人うち
    靡きいも寝らめやも古思ふに」の方が私は好きなような気がする。

   4, 一寸勉強したこと

    この歌は、軽皇子(後の文武天皇。父は草壁皇子、母は後の元明天皇。
    697年、持統天皇の譲位を受けて即位)が10歳ころ、安騎野(大宇陀町7
    の阿紀神社付近)に狩りに訪れた時、父草壁を偲んでの心を、人麻呂が
    作ったもの。そう思えば、先日の散策の道は何気なくそういう雰囲気の
    コースでもあった。